読書記録

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2004/10/08

『これがニーチェだ』 著:永井均

講談社現代新書 219P

これが永井均のニーチェだ。

タイトル故に入門書と勘違いする人が多いことでしょう。

が、紋切り型の入門書とは遠く懸け離れていて、誤解曲解何でもござれで私見を述べているのがコレ。

よって合う人と合わない人で大きく差が出る筈。

私は後者でした。

しかし、開き直っている人に「コレはこうじゃないだろう」と反論しても無駄というのは正しいです。

この中から合う合わないを抽出していくのが妥当な手かと。

どうしても納得できない一点は、「力への意志」が弱者の思想という点ですね。

これは違う、明らかに違う、と批判しても無駄なのですが。

どう違うかというと、何と云いますか、力が無いから力を求めるその方向性、という解釈ではなしに、

「力への」が意志にかかる形容詞で、意志に対する説明附与。

いや分かりにくいですか、うーむ、確かに前者の解釈の方がすんなり頭に入るのですけどね、

ドイツ語として見た場合は、どうも違う様相を示していて。

しかしまぁ、ニーチェの哲学空間を、一個の芸術作品と見なすというのは確かに同意ですよ。

取り敢えずニーチェ論に関しては、ハイデガーのニーチェ講義を読むのが最善かと。

推奨度

★★★

大見出し

道徳批判 ニーチェの誕生と、『悲劇の誕生』のソクラテス像 第一空間─ニヒリズムとその系譜学

第二空間─力への意志とパースペクティヴ主義 『反キリスト』のイエス像と、ニーチェの終焉

第三空間─永遠回帰=遊ぶ子供の聖なる肯定

 

2004/10/05

『中世哲学への招待 「ヨーロッパ的思考」のはじまりを知るために』 著:八木雄二

平凡社新書 243P

中世哲学の中でも特異な、ヨハネス=ドゥンス=スコトゥスを中心に、

王道的中世哲学を浮彫にしていこうと試みた快作。

それ以降の近世近代現代哲学が見落としてしまった重要な思想を持っていると主張、実際その通りです。

王道的な中世哲学、つまりトマス=アクィナス哲学を乗り越えたのが、

ドゥンス=スコトゥスであり、ルネサンス期のピコ=デラ=ミランドラであるのですが、どちらも評価は芳しくないですね。

これは矢張り、未だに暗黒的歴史観が作用している為でしょうか。

日本人で研究者が少ないのは、専らラテン語習得が大変だからでしょうか。

貴重な一冊です。

推奨度

★★★★★

見出し

生涯の風景 神の存在 一般民衆の宗教心 知的な人々の疑問 教会は社会制度 神の存在証明がつくられた理由

キリスト教神学が科学を産んだ 近接原因より第一原因を重視する意味 自然法則の概念と明晰判断な科学の概念

中世の科学概念はアリストテレスの『分析論』に由来する 中世と近代の関心の違い 中世の自然学 トマス・アクィナスの神の存在証明

ヨハネスの証明 神の存在証明に表された世界観 「無限存在」の科学的根拠 カンタベリーのアンセルムス 科学(客観性)の根拠論争

アンセルムスの神の存在証明 論理の飛躍か この世になぜ悪があるか 個別性について 中世哲学における個別者の位置

キリスト教信仰はむしろ集団的 個性の促進は知的討議から 修道院付属学校から始まった西欧知の伝統

個別性の問題は事物や天使の問題 普遍論争におけるプラトンとアリストテレスの対立 感覚と知性のはたらき

トマス・アクィナスの質料起源説 ヨハネス・ドゥンスの形相性起源説 付帯的相違と実体的相違 神性と関係をもつ人間個性の可能性

記憶と理解と愛(三位一体論) 三位一体論と認識論 三つのペルソナの起源 三つのペルソナと人間精神の三つの能力

プラトンのイデア想起説 アリストテレス流の認識論による解釈 能動知性と可能知性 二元論の意味 学習ではない記憶

「神の愛」と救いの問題 知的認識と愛 自由と意志 ボランティアと自由 西洋のボランティアについての個人的体験 自由と市民権

市民意識と道徳 理性と自由 理性から独立した意志の力 意志がもつ自由 理性を拒絶する意志の力 存在意義を見失う自我

理性の自我から意志の自我へ 徳を見失った意志的自我 人間の意識から乖離した宇宙の秩序

現実とは別に同時的に共存する可能世界 近代的自我を産んだ自由意志説 ヨハネスを知らない現代の哲学 時間と宇宙

理解の裏にある空間的世界観 ギリシア的世界観とインド的世界観 存在は空間的か時間的か ヨハネス・ドゥンスが見ていた宇宙

ヨハネスの見た物理的宇宙 永遠の神が見ている時間的世界 空間的存在論と時間的存在論

神は不変でありながら変化する世界をつくる 神の予知 今現在に在る神 膨張する宇宙の比喩 永遠性の瞬間 アリストテレスの時間論

円に象徴された世界の時間 瞬間の思想とゼノンの逆理 聖フランシスコの実践 時間の一瞬と永遠の一瞬 一瞬こそが真実のとき

 

2004/10/02

『ルネサンス』 著:澤井繁男

岩波ジュニア新書 187P

岩波ジュニア新書に初めて接触。

どうせジュニア新書なんて、と高を括っていたら意外や意外、なかなかどうして。

ジュニア新書だから、などとバイアスを持っては駄目ですね、はい。

私のfavoriteな御仁の一人、澤井繁男氏の取っ付きやすく簡明な文体により一層磨きがかかっています。

魔術に偏見があったりする日本人には、是非とも触れて欲しい著者の、更なる入門書といったところでしょうか。

内容が深くないというのは、この場合減点対象には成り得ませんね。

推奨度

★★★★★

見出し

いまなぜルネサンスか ルネサンスへの扉 ルネサンスは文明か? 神はなぜ救けに来なかったのか

「再生」─新たな時代と生き方を求めて 揺れる時代の中で人びとはどう生きたか 神・人間・自然を見つめ直す 神と人間との位置

宗教をどうとらえたか 神・人間・自然 自己を凝視し宇宙を考える 「地動説」の誕生 占星術と錬金術 万能人 時代を映す社会と文化

戦争、そして「平和」を希う想い 三大発明─火薬、羅針盤、印刷術 結実する文化 永遠のテーマ

 

2004/10/01

『クリプキ ことばは意味をもてるか』 著:飯田隆

岩波書店 116P

シリーズ・哲学のエッセンス。

現在もアメリカで一線活躍中のクリプキ。

彼のウィトゲンシュタインパラドックスをテーマに論じているのが本著。

しかし、私含めて一般読者には何をトチ狂ったことを言ってのけているのだろうと疑問に思うこと必至。

多分それは見出しを見て貰えれば分かることです。

一応理解はしてますが、反論の余地が山程あると思えてしまうのは私が未だ未熟だからなのでしょうか。

しかしそれにしても、日本語でクリプキを専門にしている極めて貴重な一冊なので、★一個ボーナス。

推奨度

★★★★

見出し

グルー ひとがふだんしている推論の多くは帰納法である 「グルー」が登場する エメラルドはグルーかもしれない

「グリーン」を「グルー」から区別するものはわれわれの歴史である

でも、われわれは「グリーン」でグルーのことを意味しているかもしれない クワス算 「68+57」の正しい答えは「5」である!

同じ話を「グルー」について繰り返してみる 数や色でなかう、あくまでも言葉の意味が問題である

自分の過去についての完璧な記録を私は手にしていると仮定する

議論しているいま用いている言葉の意味はとりあえず疑わないことにしよう

足し算の規則を覚えているからという答えでは十分でない 合わせて数えてみるという方法も役に立たない

「心のなかに刻み付けられた」規則によっても何かが変わるわけではない 「+」でクワスを意味してきたとしても、つじつまは合わせられる

「+」の公理をもちだしても同じことである 言葉で何かを私が意味してきたというような事実はない

それどころか、そもそも言葉が意味をもつという事実からしてありえない 懐疑的解決

実際のところ、どれだけ困ったことになっているのだろうか 意味について語ることをやめようという人もいる

懐疑的議論を受け入れても懐疑的解決という道がある 「懐疑的解決」という名称はもともとヒュームに由来する

われわれの経験を世界に投影したものが因果性である 因果言明は事実言明ではない 他人が私の言葉に意味を与える

だが、はたして懐疑的解決を受け入れるべきだろうか 言葉の意味への問いは自分の心への問いに変貌する ウィトゲンシュタイン

懐疑的議論と懐疑的解決はウィトゲンシュタインの議論と解決だとクリプキは言う 私的言語論は懐疑的解決の一部である

ほとんどのウィトゲンシュタイン研究者が、クリプキの解釈はまちがっていると言った

クリプキのウィトゲンシュタインが重要な哲学者であることに変わりはない

 

2004/09/30

『ウィトゲンシュタイン入門』 著:永井均

ちくま新書 222P

結構著名な永井均。

実は著書に触れるのは初めてだったりします。

が、何て云うか正直微妙なところです。

哲学に触れたことのない入門者に向けて、と云っていますが、

それにしては他のヴィトゲンシュタイン研究者批判がかなり強く、

そんなこといきなり云われても、と本当の入門者は思うことでしょう。

そもそも、サッカー選手の魅力を伝えるためにの比喩は納得がいきません。

ページ数の問題もあるでしょうが、これが本当に哲学に触れたことのない人を想定しているのなら、

ヴィトゲンシュタインの人となりやらをもう少し挿話してあげるべき。

私論が強いので合う人と合わない人がいて、私は後者なのでちょっと酷評ですが。

推奨度

★★★

見出し

ウィトゲンシュタインの光と陰 生い立ち 像─前記ウィトゲンシュタイン哲学 『論理哲学論考』の本質

世界はどのようにできているか─論理的原子論 言語はいかに世界をとらえるか─写像と真理関数 もうひとつの「語りえぬもの」

復帰 文法─中期ウィトゲンシュタイン哲学 検証と文法─形成 文法の自立性─完成 言語ゲームへ─解体

言語ゲーム─後期ウィトゲンシュタイン哲学 規則に従う─規則と実践 私的言語 意味盲と相貌盲 最期

 

2004/09/27

『気候が文明を変える』 著:安田喜憲

岩波書店 116P

岩波科学ライブラリー。

ギリシア古代のミケーネ文明が滅びた理由を、気候変動からなる諸事情によると指摘した著。

現在の最有力説もこれではないでしょうか。

また同時に、地母神信仰から天候神信仰への移り変わりにも言及し、

紀元前1200年の気候変動がキリスト教を生んだ根幹となると云っています。

考古学から歴史学から地質学から広い分野の人へお勧め。

推奨度

★★★★

大見出し

少年の夢の実現 花粉でさぐる古代の気候 ミケーネ文明の崩壊 気候変動のもたらしたもの 一神教の誕生 縄文から弥生への転換

蛇殺しのはじまり

 

2004/09/25

『脳にいどむ言語学』 著:萩原裕子

岩波書店 128P

岩波科学ライブラリー。

チョムスキーの生成文法理論から端を発して、脳科学とのクロスオーヴァーを強く説く筆者。

今でこそこの考えは当然のように思えますが、この著が出た6年前だと未だ受け容れ難いものだったらしいです。

この著からどれだけ研究が進んでいるのか私は知りませんが、

生物学と言語学、そして心理学に興味がある人はどうぞ。

失語症患者の臨床実験もかなり行われています。

推奨度

★★★★

大見出し

ことばの仕組み ことばが失われる 言語理論からみた失語症 文法の障害と遺伝子 言語活動の瞬間をとらえる

 

2004/09/25

『コトバの謎解き ソシュール入門』 著:町田健

光文社新書 234P

平易なソシュール入門書。

ソシュール入門書は幾つかありますが、あまり読んでいないので比較できず。

ですが、そう悪くはないかと。

ただ、能記/所記よりは、シニフィアン/シニフィエや記号表現/記号内容の方が、現在では分かり易いのでは。

その点だけは気になりました。

ソシュール以前の比較言語学から、どのようにしてソシュールが頭角を顕わしたのか、

またその意義は如何なるものか、どれ程の影響を与えたのか。

言語学だけでなく、文学は勿論哲学や文化人類学そして社会学に至るまで、ソシュールには触れるべきでしょう。

推奨度

★★★★

見出し

ソシュールは何を解明しようとしたのか 文字が作られた背景 「品詞」を考えたギリシア人(BC1C)

普遍文法─ポール・ロワイヤル文法(17C) 「エネルゲイア」と「内的言語形式」(18C後半〜19C初め)

「日本語は膠着語、中国語は孤立語」という説/比較言語学(19C) ソシュールの登場(19C後半) 祖語に新たな音を仮定する

比較言語学からコトバ一般を見る パリからジュネーブへ 比較言語学の限界 単語の意味と語形の関係

単語の意味はどうやって決まるか 祖語の文法を考える 祖語はどうして分化したのか 方言調査 アナグラム研究

一般言語学の講義と『一般言語学講義』 ソシュールが目指した言語学 言語学の対象─ラングとパロール ラングとパロール

言語学の対象を決める コトバは意味を伝える道具だ ラングの必要性 単語はラングに属する ラングの社会的性質

ラングに自然的な性質はないのか ラングは抽象的なのか 文の意味はパロールかラングか パロールに属する要素 言語記号

「能記」と「所記」 <犬>とinuの間にある恣意性 恣意性はなぜ重要か 「不易性」と「可易性」 恣意性がもたらすコトバの性質

二万個の単語で約十の四十三乗個の文 コトバの線状性 記号学の可能性 コトバから記号へ 記号学の一部としての言語学

比較言語学との決別 コトバのしくみを探るための視点 共時態 通時態 共時態のほうが大事だ 共時態と通時態は独立している

共時態と通時態の性質はどこが違うか 共時態と通時態に共通の性質─「回らない」と「回んない」 共時態の分析に通時態を入れる危険

ソシュールが明らかにしたコトバのしくみ コトバの単位 単位を決める必要性ある言語の単語がまだわかっていないものと仮定する

単語はどのようにして決めるか 単語を決めることは本当にできるのか 「形態素」─単語とは別の単位の問題

単語の意味をどう定義するか 意味の同一性─「桜の花」と「職場の花」 コトバは実質ではなくて形相だ コトバに見られる体系性

単語の意味は他の単語との「差異」から決まる 単語の意味が体系をなす理由 体系性だけで意味が決まるのか

体系を考慮したコトバの分析 体系は万能か 連合関係と連辞関係 「ネコ」と「ペット」、「ペット」と「飼育」、「飼育」と「愛情」……

能記に見られる連合関係─「す顔」と「す足」 不完全な恣意性─「ま水」はあるが「ま天才」はない

言語によって恣意性の違いはあるのか 連辞と連辞関係 連辞関係の性質─「タコ焼き」と「焼きダコ」

連辞関係の種類─「魚を焼く」「魚が釣れた」 体系と構造がコトバのしくみを決定する ソシュールの構造主義

ソシュールが現代言語学に与えた影響 構造主義の進展 構造主義的言語分析の手法

言語学以外の分野へのソシュールの影響─レビ=ストロース、ラカン、フーコー、バルト……

 

2004/09/22

『現代言語論 ソシュール フロイト ウィトゲンシュタイン』 著:立川健二・山田広昭

新曜社 262P

用語別に書かれているので、便利と云っては便利だが、文体がどうにも翻訳調で読みにくいこと甚だし。

主観を大きく入れ込んでもいるので、入門書としての利用には当たりません。

或る程度言語学を囓った後に読むのが良しです。

10年以上前に書かれているので、それ程新しいことを云っているわけでもないのですが。

推奨度

★★★

見出し

現代言語論の三つの視点 システム・構造としての言語─記号論的視点 記号─記号論と生のリアリティ ソシュール─<力>の思想家

共時態と通時態─ソシュールの<力>の言語学 サピア─<ドリフト>、あるいは構造主義の脱構築 意味─<聴く立場>のために

バルト─実存的構造主義、あるいはロゴスのポリティック グー─言語と貨幣の生成プロセス 戯れ─言語の無根拠性

ブレンダル─論理学的構造主義者の両義性と徹底性 イェルムスレウ─言語としての主体、あるいは内在論的構造主義の可能性

固有名詞─シニフィエなきシニフィアン、あるいは言語のなかの外部性 無意識としての言語─精神分析的視点

フロイトと言語─言語行為論と象徴理論のはざまに 無意識─無意識のなかの言語、言語のなかの無意識

アナグラム─ふたりのソシュール、その断絶と連続 クリステヴァ─<名づけえぬもの>の理論、あるいは<女>のエクリチュール

セミオティックとサンボリック─恋愛、あるいはカオスとしての言語 精神分析と言語使用論─欲動の力と発話の力

行為・コミュニケーションとしての言語─言語使用論的視点 ウィトゲンシュタイン─言語ゲーム論の射程

交通─マルクスとソシュール、あるいは外部の力 オースティン─パフォーマンスとしての言語 対話─ミハイル・バフチンとともに

ヴァレリー─「考えるためには、ふたりでなければならない」 バンヴェニスト─発話行為の言語学─「主体」とは「語る主体」である

デリダ/サール論争─言語行為をめぐるディスコミュニケーション 手紙─愛のメタファーとしての 約束─このおそろしげな言語行為

誘惑─他者との危ういコミュニケーション、あるいは迂回されたナルシシズム

 

2004/09/20

『フリードリヒ大王 啓蒙君主のペンと剣』 著:飯塚信雄

中公新書 222P

英雄化や悪役化したフリードリヒではなく、等身大のフリードリヒを描き出そうという試みのもとに書かれた著。

ホーエンツォレルンのフリードリヒ2世よりも、ホーエンシュタウフェンのフリードリヒ2世の方が、

大王と冠すに相応しい立派な王なのではないか、という指摘は確かにその通りだと思います。

というか、ホーエンシュタウフェンのフリードリヒ2世は、

Friedrich der grosse以上にFriedrich der groessteって感じですよね、もう、最上級。

人と歴史、の方のフリードリヒ大王と、併せて読むのが一番です。

推奨度

★★★★

見出し

初めてのプロイセン王─フリードリヒ一世 戴冠式 王位の重さ 幸運の訪れ プリンツ・オイゲンの洞察 ルイ太陽王の真似 錬金の秘法

過ぎたる妻─王妃ゾフィー・シャルロッテ 三人のW 王妃の死 王太子の結婚 フリードリヒの誕生と王の死

軍人王フリードリヒ・ヴィルヘルム 倹約 フルーリのフランス式倹約 王のフランス嫌い 牛の尻尾切り 王の体面 実利主義の欠陥

軍隊という消費者 行政改革 亡命者の受け入れ 人材の登用─ゴッター伯爵 ブリュール伯爵 王太子フリードリヒ 誕生

王と王妃の不和 軍人教育 国王父子暗殺未遂事件 グルンプコウのプロフィル 父の暴力 逃亡 逃亡先はイギリス 裁判 カッテの処刑

ラインスベルク宮の雅宴 結婚 新妻エリーザベト・クリスティーネ ラインスベルク宮 哲学と政治への関心 ビールフェルト ズームの報告

マキャヴェリ批判 友情 政治への不満 夢想するアンティ・マキャヴェリスト フリードリヒ2世の即位 宗教寛容令 学芸の復興

失望した友人たち 軍事力の活用 カール6世の死 『アンティ・マキャヴェリ』 『ヨーロッパ政界の現状についての考察』

シュレージエンの征服 開戦 モルヴィッツの乱戦 地名の表記 ブレスラウの和議 第二次シュレージエン戦争へ

プロイセン軍、ベーメンに侵略 危機の中で ホーエンフリートベルクの勝利 平和条約成る 友情なくして幸福なし つくられた歓迎か

もう一人のフリードリヒ2世 束の間の平和(1476-1756) 内政改革 悪化する健康状態 フリードリヒの弟たち サンスーシ宮の建設

ワインベルクの家 クノーベルスドルフ ホッペンハウプト ポツダム宮の雅宴 側近の三人衆 食卓の仲間たち ヴォルテール

貴婦人たちとの戦い、七年戦争始まる 敵となった貴婦人たち 錬金術も思案のうち ウェストミンスター条約の締結

ポンパドゥール夫人の活躍 侵略か防衛か ザクセン侵入 無謀な戦い ロスバッハ戦勝の真相 クーネルスドルフの敗北 近親の死

危機を免れる フーベルトゥスブルクの平和条約 ダルジャンヌ侯への友情 ダルジャンヌの人生遍歴 カザノヴァとのめぐり合い

姉ヴィルヘルミーネの『回想録』 『回想録』の出版 カーライルの批判 弟のために ヴィルヘルミーネの死 娘のヴォルテール訪問

アンネッテ・コルプのヴィルヘルミーネ評 本当のヴィルヘルミーネ像 文人フリードリヒ ペンで統治し、王笏で書く フランス文学への傾倒

著作家への道 ジャーナリストとして 文筆のいたずら 歴史論の著作 軍事書 教育・哲学書 書簡 印刷への興味 素顔のフリードリヒ

社交 王妃エリーザベト・クリスティーネ 王は変った 王の一日 食卓の楽しみ 簡素な生活 表情の魅力 タバティエールのコレクション

孤独な晩年 国家の第一従僕 複雑化する行政機構 重商主義 特権階級の保護 法典の編纂 水車小屋事件 外交政策

ポーランドの分割 バイエルン継承戦争 マリア・テレジアの死 ディービッチュ将軍の報告 『ドイツ文学論』 いずこへ ブイエ侯の報告

その死 寛容はどこへ行ったか 新王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世 ヴェルナーの登場 大王著作集の出版 ドロイゼンの証言

その後のヴェルナーとヘルツベルク 王であることの悲劇 冒険者フリードリヒ フリードリヒの魅力 同性愛か モンテーニュの優しさ

ロココの王様フリードリヒ