読書記録

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2005/10/04

『カント『純粋理性批判』入門』 著:黒崎政男

2000 講談社選書メチエ 208P

珍しく人から頼まれて読んだもの、ですが自分でも黒崎氏は好きで興味あるものなので……。

カント入門ではなく、あくまで『純粋理性批判』の入門なので、カントの全体像は掴みきれないものと思います。

しかも、その『純粋理性批判』の中でも経験論・合理論・超越論というあたりを中心に据えてあります。

なので、かなり局限された内容です、まぁ、だからこそそんなに大きな失敗をせずに済むものなのですが。

著者は『純粋理性批判』を高く買っているというか、ここを全ての基軸にしているようですので、

どうにもこれ以降のカントを買っていないのですが、

私はこれ以降のカントの変化っぷりにはもっと目を見張り重要視すべきと思っている立場なので、

そのあたりが相容れなかったですね。

それと、どうしてもヘルダーを色々とやった後では、

ヘルダーの名が全く出て来ないとどうにも説得力がいまいちになってきてしまうといいますか、何といいますか……。

カントはあまり哲学書を読まなかったとあるのですが、あれ、ヘルダー、ってな具合に。

まぁ、やっぱりカントなんで難解ですが、『純粋理性批判』入門と銘打つだけあって優れた入門書です。

推奨度

★★★★

大見出し

すべての哲学が失敗した理由 『純粋理性批判』の建築現場 『純粋理性批判』見学ツアー 『純粋理性批判』の動揺

 

2005/10/03

『デカルト 「われ思う」のは誰か』 著:斎藤慶典

2003 NHK出版 126P

シリーズ・哲学のエッセンス。

著者はデカルト専門ではなく、現象学専門。

デカルトは哲学者の中でも明快な部類に入りますし、概してこのシリーズモノは易しめな入門書ですので、

基本に立ち返る意味で気軽な気持ちで手に取ってみたら、何とまぁ。

一口に云えば、部分的に簡単なものの、難しいです。

多分、『方法序説』日本語訳を読んだ方が入門者には分かりやすくいいものと思います。

本書は、『方法序説』『省察』の二冊を読み終えて、あちこちのデカルト解説書をも読んだ後にこそ、

初めてそのアジが分かるといったものです。

軽く私的に解説。

コギトエルゴスムという有名な命題ですが、アレは多分に誤解されているという。

ではどのようなものかといえば、ある意味、ヘルダー的な「力の一元論」を貫いているものなのだ、と。

存在する思考ではなく、思考行為こそが我なのだ、つまり我は存在ではない、「我思う」のは誰でもない。

興味を持たれたら是非一読を。

そうそう、私が『黒猫』後書きで記した「作品は骸」というのを、ここで云われていました。

推奨度

★★★★

大見出し

哲学とは何か 死んだものとの対話 対話と挨拶 主題と死 復活 思考ということ 「私」と「神」─デカルトの主題

「よき生」のために 諸学との対話 「絶対に疑いえない」ものを求めて あらためて問う、「真理とは何か」、「よき生とは何か」

「われ」思うのは誰か 夢 真理と「疑いえなさ」 思考の建築術 方法的懐疑 感覚 夢と現実 夢中夢 狂気 理念の世界 数学

欺く神 「私はある」 「私」とは何か 「私」は人間ではない 「思われる」こと、「感ずる」こと 「私」はいかなる「もの」でもない

「何かしら或る、私のそのそれ」 なぜ「それ」は「私」なのか 「思われること」は「絶対に疑いえない」か 思考の限界に立つ思考

「われ思う」に他者はいるか 観念の起源へ 「思われたもの」の解明 観念の起源 「神」の観念 「ア・プリオリな」存在証明

「ア・ポステリオリな」存在証明 「無限」ということ 「無際限」な「私」 「無際限」と「無限」 理解不可能な「無限」

「思うこと」に触れる「無限」 「無限なる神が存在する」 「われ思う」に他者は……

 

2005/10/02

『クレーの贈りもの』 編:コロナ・ブックス編集部

2001 コロナ・ブックス 125P

日記に引用したクレーの文をこちらにも。

これだけで十分。

「この世では ついに私は理解されない

いまだ生を享けていないものたちのもとに

死者のもとに 私がいるからだ

創造の魂に 普通よりも近づいているからだ

だが それほど近づいたわけでもあるまい」

推奨度

★★★★

 

2005/10/01

『ヘミングウェイの言葉』 著:今村楯夫

2005 新潮新書 190P

ヘミングウェイの小説や日記などから77の文章を引っ張ってきて、

段ごとに著者の雑感と解説を交えて語られていく形式。

ヘミングウェイというのはとても明快で装飾、虚飾を省いた簡略な書体の作家です。

簡単だから解釈が拡がるというのは勿論ですが、それでも英語で小説を読む入門としてはかなり優れモノです。

なので、この本を読んでみてヘミングウェイの言葉が染みたら、

英文短篇でも手にとって読んでみるのをオススメします。

この本の難点を一つ挙げるとしたら、そういった英文の美しさを味わう機会が無いという点。

日本文の引用だけでなく、英文も付随させておけばよかったものと思いました。

推奨度

★★★★

大見出し

人生 異国・祖国 自然 楽しみ 執筆

 

2005/09/30

『ガイドブック <心の科学>を読む』 編:岩波書店編集部

2005 岩波書店 126P

岩波科学ライブラリー。

岩波科学ライブラリーって本のカヴァーから綴じ方から全部変わったんですね、最初分からず少し驚き。

哲学者、心理学者、言語学者、生物学者、小説家と色んな人々が寄稿。

個人的に一番興味を持ったのは、ゴールドシュタインの生物学的心理学ですね〜。

推奨度

★★★★

大見出し

<心>とは何か……黒崎政男 「動物の心」+「ことば」=「ヒトの心」そしてぼくの心は?……岡ノ谷一夫

思い続けることの不思議─心と身体の倫理学……瀬名秀明 意識の迷宮……信原幸弘 「心を読む」心の科学……子安増生

臨床神経心理学者が読む<心の科学>……山鳥重 ことばから見た心……大津由紀雄

言語によって動的に構築される世界……大堀壽夫 俳句・漢字・自分……田中茂樹

地面や空気から「心」について考えることもできる─早わかりアフォーダンス……佐々木正人

 

2005/09/29

『革命的群集』 著:G・ルフェーヴル 訳:二宮宏之

1982 創文社 89P

歴史学叢書シリーズ。

薄くて訳文にすぐれて読みやすく、内容も重厚で申し分無い名著でしょう、

アナール学派の一端に触れてみたいと思ったら迷わず手に取ってみてよいものと思います。

心性の問題は第三世代に入ってきてからル・ゴフなどを中心に進められてきて、

今でこそ心性から表象などと問題が移ってきてはいますが、ルフェーヴルの原著は1932年のもの。

年齢的にはフェーヴルやブロックと同年代で、彼らと並んで慧眼を有したした歴史家です。

推奨度

★★★★★

大見出し

純粋状態の群集、または「集合体」。半意識的「集合体」。「結集体」への突然の変容。 革命的集合心性

「集合体」ならびに「結集体」の固有の作用

 

2005/09/27

『子どもからお年寄りまで 眼の病気Q&A 改訂新版』 著:普天間稔/糸井素一

1999 保健同人社 151P

旧版が出たのは1991年だそうですが、それからたった8年で、驚くべき治療法の進歩があったそうです。

それから6年経過しているのですから、今はまた以前治らなかったものも治るようになってきているのでしょう。

うーん、この進み具合ばかりはさすがに素直に感心せざるを得ませんね。

というか、人間なんだから自分の身体の構造にもっと詳しくなければいけないですねと思わされました。

やっぱり出発点は自分の身体なわけで、そういう知識も得ていかねば。

推奨度

★★★★

見出し

眼の構造とはたらき 結膜=眼球と眼瞼とを連絡する薄い膜 涙器=涙の分泌と通り道 角膜、強膜=黒目と白目の部分

房水=眼圧を一定に保つ 虹彩、毛様体、脈絡膜、水晶体、硝子体=しぼりとレンズと暗幕 網膜=フィルムにあたる

視神経と脳=TVカメラのケーブルと操作室 外眼筋=眼を動かす 症状と眼の病気 眼の病気・Q&A

 

2005/09/26

『ある父親』 著:シビル・ラカン 訳:永田千奈

1998 晶文社 115P

ラカンの“娘”の回想書。

こういった、著名な人の子供の本っていうのをもっと読んでみたいものだと思いました。

メルロ=ポンティって、本人も人格的に優れていれば、娘さんも同様なんですね。

ラカンが変な人だということを如実に示しているくだりを引用。

「父が泳ぐ姿は、夏にイタリアに行ったときにこの眼で見たから、よく覚えている。

さんさんと日のあたる砂浜に寝そべり、学術書に没頭していた父が、突然、立ち上がったかと思うと、

大きくて派手なエメラルド・グリーンの海水パンツ姿で波打ち際へ大股で駆けてゆく。

上半身はしかるべき格好、つまり、両腕を伸ばして手先を揃えた飛び込みポーズ(マンガみたい!)

そして、ぼちゃんと水面に身を投げ、力強い平泳ぎで浜に戻ってくる。すぐそこの、浜に」

推奨度

★★★★

 

2005/09/26

『十八世紀の精神』 著:エルンスト・カッシーラー 訳:原好男

1989 思索社 166P

カッシーラーのカント論、ルソー論、ゲーテ論をおさめた二つの論文収録作品。

中身は厚いですがそれほど難解ではありません、訳者は謙遜していますがなかなかに優れた訳だと思います。

論の中心は、カントがどのようにルソーを見ていたか、どのように影響を受けたか、

そして、ゲーテがどのようにカントから影響を、そしてルソーから間接的影響を受けたか、

という点に集約されましょう。

カッシーラーは、カントだけでなくゲーテの裡にも、“ヴィトゲンシュタインのような”限界画定をきっちり見ていますね。

推奨度

★★★★

見出し

カントとルソー 個人的影響 ルソーと人間の本性の原理 法と国家 楽観論の問題 「単なる理性の限界内での宗教」

ゲーテとカント哲学

 

2005/09/24

『ミシェル・フーコー』 著:モーリス・ブランショ 訳:豊崎光一

1986 哲学書房 92P

こういうのばかり読んでいるとフランス現代思想嫌いひいては哲学嫌いになってしまいますよ、というイイ例。

まぁ、翻訳のせいなんだか原文のせいなんだか判りませんが。

ソーカルが皮肉りたくなる気持ちも解らなくはないですけれどね。

本質は輝くものがあるとは思うんで、そこを抉り出せれば彼が云うような価値なきものだとは到底思えませんが。

このナルシスティックな風に当てられ、読み解く気が失せてしまうというのが本音。

推奨度

★★

見出し

個人的な言葉をいくつか 危険に晒された人 構造主義への訣別 非連続性への要請 知、権力、真実? 隷属から主体へ

内なる確信 今日、私とは誰か? 血の社会、知の社会 人種差別の殺人 性について語ることへの執念 おおわが友らよ