読書記録
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2006/02/02
『サルトル─「人間」の思想の可能性』 著:海老坂武
2005 岩波新書 197P
サルトルは、やっぱり自分の中で血肉になっているなあ、と感じました。
あまり思想の中身に踏み込まないで、サルトルの生涯を、ハイライト的に映し出していったもの。
その際中心になっているのが、ロカンタンですね。
ロカンタンサルトルから、人間サルトルへ……、
そんな変遷が見られると、別にそれは退化ではないと、そう主張しています。
まあ、分からなくもない。
推奨度
★★★★
見出し
『嘔吐』から 私にとっての『嘔吐』 <人間>の思想の萌芽 戦争、収容所、占領 <奇妙な戦争>と戦中日記 『存在と無』を読む
<アンガジュマン>思想の形成 自由の実現は可能か 実存主義宣言 自由と連帯 『聖ジュネ』または非人間の復権
家族論として読む『家の馬鹿息子』 闘うサルトル マルクス主義との格闘 「サルトルを銃殺せよ」 五月革命と毛派 葬儀の日
サルトル再審 <父親殺し>の後に 破壊者/建設者、サルトル 友愛と暴力、そして倫理 人間化の運動
2006/02/01
『90分でわかるヴィトゲンシュタイン』 著:ポール・ストラザーン 訳:浅見昇吾
1997 青山出版社 93P
90分シリーズ。
ヴィトゲンシュタインがよく分からなくなってきたので、復習的に。
前期にばかり焦点を当て、後期のヴィトゲンシュタインに対しては、ストラザーンは思いっきり批判的ですね。
いやあ、確かに厳密性という点では、欠けていますが……、
それをいったら、前期は超巨大な欠陥があったために後期に移らざるを得なかったわけで……。
ストラザーンのシリーズは読みやすいのですが、当たりはずれもあるのですね。
これは、どちらかというとハズレ気味、いやそれでも悪くはない。
ヴィトゲンシュタインについては、もっといい入門書はたくさんありますので。
推奨度
★★★★
2006/01/31
『目に見えないもの』 著:湯川秀樹
1976 講談社学術文庫 163P
湯川秀樹は、いつ読んでもイイ。
自分で言っていますが、すぐれた物理学者は、すぐれた文章を書くしすぐれた哲学者でもある……、
まさに彼にもそれが当て嵌まる。
寺田寅彦にしろ、文が美味い、上手いじゃなくて、もう、美味いんです。
特に、何気ないエッセイが、本当に美味い。
これなんて短いエッセイ集ですので、湯川入門に適してますね。
講演も、勿論いいのですが。
推奨度
★★★★★
大見出し
理論物理学の輪郭 古代の物質観と現代科学 エネルギーの源泉 物質と精神
半生の記 ガラス細工 少年の頃 二人の父 物理学に志して 科学と教養 真実 未来 日食 眼の夏休み 読書と著作
話す言葉・書く言葉 『現代の物理学』 『物質の構造』 『ピエル・キュリー伝』 目と手と心 目に見えないもの 思想の結晶
2006/01/30
『トーマス・マン』 著:村田經和
1991 清水書院 215P
CenturyBooks人と思想。
マンかっこいいよマン、かっこいいよマン。
去年の今頃、ちょうど、マンの講演などを色々読んでいましたが、
何故だか冬のこの頃になると、マンに触れたくなります。
うーん、何故でしょう?
マンが冬の作家だとか、そんな印象は全然無いとは思いますが。
とにかくマンの良いところは、自分でも言っている通り、
「〜主義」とか「〜派」に一切属していない、カテゴライズされないところにあると思います。
「マンって何派?」「……マンは、マンじゃね?」
そんな感じの、独特さがマンにはある、それがカッコイイ。
作品一つ読めば分かりますよ。
推奨度
★★★★
大見出し
精神的生活形式としてのリューベック リューベック市の歴史 トーマス・マン誕生 「春の嵐」 『ブッテンブローク家の人々』
世紀末デカダンス 対立の構造 対立の彼方 魔の山への道 結婚 ヴァイマル共和国 ゲーテのまねび─神話の世界へ 精神の高貴
日本におけるトーマス・マン 翻訳の動向 日本文学における受容 トーマス・マン研究
2006/01/29
『ラッセルのパラドクス 世界を読み換える哲学』 著:三浦俊彦
2005 岩波新書 210P
タイプ理論ってスッゲー使えるなあ、と思いました、ヘルダー哲学に。
著者は思いっきりラッセル寄りなために、ヴィトゲンシュタイン批判も全く厭いませんが、
いや確かに世間の流れがヴィトゲンシュタイン推しが多過ぎるので、
バランスをとるためにはこれくらいが丁度いいかなと思わないでもありません。
とにかく、読めば、ラッセルすげー、と思わずにはいられません。
やっぱり、ホワイトヘッドは勿論ですが、彼を理解するためにも、当然それ以外でも、
ラッセルは21世紀に外せない哲学者だと思いますし、
今まで全く深められていないというか無視されがちな、
まだまだ研究余地のたっぷりある御仁だなあ、と思った次第。
推奨度
★★★★★
大見出し
ラッセル哲学の輪郭 「世界は一つ」ではない? 数学を矛盾から救うには? 多重世界こそ現実だった? 階層の中にまた階層が?
日常言語は信頼できるのか? 知が世界につながるためには? 分析には終わりがある? 心と脳は同じものなのか?
2006/01/26
『純粋経験の哲学』 著:W.ジェイムズ 編訳:伊藤邦武
2004 岩波文庫 286P
深い、深いです、ジェイムズ。
いわゆる、プラグマティズムの祖と言われるのがジェイムズですが、祖であるために、
後のプラグマティズムな人々よりはプラグマティズム寄りではないですし、
色々と広い知見でもって、英米哲学のturning pointにどっしりと腰を落としている感じですね。
引用するのが一番なのですが……ここのくだりなんて、どうでしょう?
「ある経験が意識的性質を獲得するのは、それに文脈がつけ加わることに依存しているのであるから、
いかなる文脈ももたない一切の経験をあつめた集合全体は、
厳密な意味では意識的なものとはまったくみなすことができない。
それはひとつのあれ、絶対者、巨大な拡がりをもつ「純粋」経験であり、何の分節化も含まず、
思考と物とに分節化しようのないものである」
推奨度
★★★★★
大見出し
「意識」は存在するのか 純粋経験の世界 活動性の経験 ふたつの精神はいかにしてひとつの物を認識しうるのか
純粋経験の世界における感情的事実の位置 変化しつつある実在という考えについて 経験の連続性 多元的宇宙
2006/01/20
『90分でわかるカント』 著:ポール・ストラザーン 訳:浅見昇吾
1997 青山出版社 113P
はい、久し振りに手に入りました、in 90 minutesシリーズ。
……カントって、前に読んでませんでしたっけ、気のせいかな。
カントが最近よく分からなくなってます、ロックとどれくらい違うんだ!?
下の、冨田さんの解説は、かなり新説的なロック解釈を取り入れているので、それによれば、
カントもロックやヒュームの圏域からそれほど出てないような気がしないでもなくなりまして……、
あーうーあーおー?
こんな入門書じゃ、その差異なんてくっきり分かるわけありませんでした。
あー、そう、カントって、一般的には、こう、だよなあ、と。
いや、それが分かるだけ、すごく優れた一冊ですよ、さすがのシリーズです。
ただやっぱり、カントがヘルダーによって日常を壊されたことに触れられてないのは(略
推奨度
★★★★
2006/01/20
『対話・心の哲学 京都より愛をこめて』 著:冨田恭彦
2005 講談社現代新書 297P
基礎づけ主義、というものに対し、その根柢を覆そうと試みた、生島センセーシリーズ最終回。
……さ、最終回なのか!
もっと続いて欲しかったですよ。
何か雰囲気的に、森博嗣さんの犀川センセーと話してみてもらいたいとか思ったり。
前回、前々回の、イギリス経験論っていうか懐疑論と、アメリカ哲学を下敷きにしつつ、
デカルト、ロック、バークリー、ヒューム、カント、ブーバー、クワイン、デイヴィドソン、ローティなどなどと、
基礎づけ主義とそれに反する反基礎づけ主義の攻防を分かりやすく描いた一冊。
例の如く対話編なので面白いです。
基礎づけ主義っていうのは、いわゆる絶対根本となる基盤を作ってから、
そこから出発して積み重ねていくというようなものですね、いわゆる絶対主義といったところでしょうか。
バーリンが言う、プラトン以来の伝統的な西洋哲学といったら、コレにあたるわけですね。
対して冨田さんが主張するのは、反基礎づけ主義で、絶対的なものなんて実は無い、っていう……。
絶対的なものが無い、ということが絶対的になっちゃうんじゃない?みたいな揚げ足取りはさておいて。
クワインから始まるホーリズムや分析哲学が、それに対して有効的だというのは、頷かされました。
私も、ヘルダーの文脈、というかゲシュタルトとの繋がりでクワインを観ていましたので、
横から支えられた気がしました。
要は、やろうとしていることは、ヘルダーと軌を一にするところですからね。
ローティの自文化中心主義というのも、その訳語の当て方が悪いのですが、
結局自分の文化に入り浸っていてその見方から脱することはできないんだから、
とりあえず自分の文化が中心になるしかないでしょ、って程度のものなので、とてもヘルダー的でもあります。
このあたり、もっと色々調べてみる価値があるなあ、と。
ホント、全体論的に、色々繋がってるなー、と。
推奨度
★★★★★
大見出し
おまかせのデカルト ブリティッシュ・ライブラリー なぜかイデア論 デカルトの「観念」 形而上学ってなに? すべてを疑う
アルキメデスの点 観念が脱出口 神の存在を証明する さらに物体へ 古くて新しい物体観 自然学が先にある 物体と観念と
性質が心の中へ 全体像の先行 近代主観主義のはじまり そして京都 勧修寺での再会 懐疑再び 全体論 真理の対応説
デイヴィドソンの疑念 西田幾多郎の場合 たいていの信念は正しい 我と汝 志向性と観念 「第三のもの」批判
クワインは懐疑論者か? これがロックです ロック 知覚表象説の否定的評価 仮説的に考える 新たな「物そのもの」
日常的な「物」の先行 ヴェール説なのか? なにかが変わった 生島の研究室 ライルのデカルト批判 心の優位と物の優位
バークリの観念論 ヒュームの懐疑論 カント入門(1)真理の対応説・再説 (2)コペルニクス的展開 (3)感性と悟性 (4)空間と時間
(5)物自体と現象 (6)多様と範疇 超越論的観念論? 「観念論の論駁」 概念図式をめぐって ラルフの帰国 基礎づけ主義再考
仕事始めの日に フッサールの反自然主義 クワインの自然主義と、ローティの自文化中心主義 ゆかりの疑問 推論と直観
絶対的真理を具体的に適用しようとすると なぜ絶対的真理を求めるのか 絶対的真理の危険性 宗教と公私の区別 直観の偶然性
語彙の複数性 「なんでもいい」ではない 偶然だからこそ やがて春
2006/01/17
『本居宣長とは誰か』 著:子安宣邦
2005 平凡社新書 207P
何かよくわからない過激に刺激でマジェスティックでドラスティックな国学者の顰め面なオッサン。
絶対相容れない人なんですが、魅力があるんですね、ええ。
私は真淵の方が好きですし、秋成の方が好きですし。
もちろん汲み取るべきところは多いですから。
何かイメージとして、真の日本人、というようなものに本人は憧れていたんでしょうけれど、
人造人間っぽい突飛な思想家って感じがしてなりません。
推奨度
★★★★
大見出し
「宣長とは誰か」という問い 宣長はどう語られてきたか 宣長は自分をどう語ったか 宣長にとって真淵とはどのような師か
宣長にとって歌とは何か 「物のあはれを知る心」とは何か 宣長は『源氏物語』をどう読んだのか 宣長にとって『古事記』とは何か
宣長は『古事記』をどう読むのか 宣長は神をどう語るのか 宣長はどのように論争したか 宣長にとって死とは何か
2006/01/14
『手にとるように日本史がわかる本』 監修:加来耕三 著:岸祐二
2001 かんき出版 293P
手に取るようには分かりませんでしたが、足りないところがあるように感じるのは、
外交史を中心にやっていたからでしょうか。
やっぱり内の歴史が多いです、当然でしょうけれど。
通俗本の割に、十分に偏ってない書き方がされているかと思います、多分。
最近はこういう本でも、質が上がっているんですよね、ホント。
推奨度
★★★★