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九鬼周造
「音と匂──偶然性の音と可能性の匂──」
底本:菅野昭正編『九鬼周造随筆集』岩波文庫、1991
入力校訂:ピュシス
私は少年の時に夏の朝、鎌倉八幡宮の庭の蓮の花の開く音をきいたことがあった。
秋の夕、玉川の河原で月見草の花の開く音に耳を傾けたこともあった。
夢のような昔の夢のような思い出でしかない。
ほのかな音への憧憬は今の私からも去らない。
私は今は偶然性の誕生の音を聞こうとしている。
「ピシャリ」とも「ポックリ」とも「ヒョッコリ」とも「ヒョット」とも聞こえる。
「フット」と聞こえる時もある。
「ふと」というのはそこから出たのかも知れない。
場合によっては「スルリ」というような音にきこえることもある。
偶然性は驚異をそそる。
thrillというのも「スルリ」と関係があるに相違ない。
私はかつて偶然性の誕生を「離接肢の一つが現実性へするりと滑ってくる推移のスピード」というようにス音の連続で表してみたこともある。
匂も私のあくがれの一つだ。
私は告白するが、青年時代にはほのかな白粉の匂に不可抗的な魅力を感じた。
パリにいた頃は女の香水はゲルランのラール・ブルー(青い時)やランヴァンのブッケ・ド・フォーン(山羊神の花束)をチョッキの裏にふりかけていたこともあった。
今日ではすべてが過去に沈んでしまった。
そして私は秋になってしめやかな日に庭の木犀[もくせい]の匂を書斎の窓で嗅ぐのを好むようになった。
秋はただひとりでしみじみと嗅ぐ。
そうすると私は遠い遠いところへ運ばれてしまう。
秋が生まれたよりももっと遠いところへ。
そこではまだ可能が可能のままであったところへ。
私的雑感
九鬼は、本当に彼自身がとても「粋」な人です。
この文章も、凄くそう。
味わい深いというか……、コクがある。