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九鬼周造
「東京と京都」
底本:菅野昭正編『九鬼周造随筆集』岩波文庫、1991
入力校訂:ピュシス
私は東京に生まれて東京に育った。
生まれ落ちてから三十年間は東京以外の土地に住んだことはなかったのだが、しばらく西洋へ行って帰朝すると京都に職をもつようになった。
京都へ行く時、知人のところへ挨拶に行くと玄関へ出てきた主人は「今迄はパリでこれからは京都ですか」と微笑した。
京都は旅行者として知っているだけだったから、帝都を離れてその地へ移り住むのは私には何となくわびしいことであった。
厭になったら一、二年で東京へ帰ってこようと思っていた。
それがもう八年も過ぎてしまった。
この頃では東京の人は私の名前の上によく「京都の」という限定詞をつける。
岩波の『哲学』講座の編集者は執筆者の紹介に何かの間違いで私を京都帝大出身にしてしまった。
近頃では私を京都人と思い込んでいる人もかなり多いようだ。
私は家族を東京に置いてあるので、春、夏、冬の休暇には必ず東京へ帰ってくる。
文藝春秋社から随筆を書くようにという書面も京都から東京へ廻送してきて、私はいま東京の家の書斎でこの原稿を書いている。
東京の人、殊に数年来の知人は私を京都人扱いにする。
京都で東京人扱いされるのは当然のことと思っているが、東京で京都人扱いされるとどうも私は不服を感じる。
税金はどこで納めてもいいという規則になっているから、私は便宜上、東京で納めていたのだが、この一、二年は東京の税務署が相手にしてくれないので仕方ないから京都で納めるようにした。
今後何年私が京都に住むかわからないが、ながく京都に住めば住むほど周囲では私を京都人として扱うようになるだろう。
それで私の故郷は複数というようなハメになるのかも知れない。
今の私は東京と京都とどっちにも執着を感じている。
京都ではちょっと散歩に出ても到るところが名所旧蹟である。
市観光課の立札に私は足を留める。
この塚は桓武天皇が都を定め給うたときに鎧兜を埋めて都の鎮護とされたところだとか、西行がこの桜の下で「願はくは 花のもとにて 春死なむ」の歌を詠んだのであるとか、立札を読むだけでも歴史との深いつながりを感じる。
東京では夜霧のたちこめた大川端や浅草の観音堂で広重の絵を思い出す場合を除いては歴史とのつながりを私はあまりはっきり意識しないのが常である。
京都は更に自然にも恵まれている。
南禅寺の私の宅から十五分ぐらい歩けばもう山の中へ入ってしまう。
春は [原文空白] つつじがうす紫に咲いているし、秋は新しい縄張りに松茸の近くを歩いているなと感じる。
東京では半日がけで鴻の台や玉川あたりまで出かけてみてもあまり自然との親しみが感じられない。
歴史と自然とが京都の私の生活を幸福にしてくれる。
しかし現代生活は何といっても東京のものである。
銀座と四条通とはまるで比較にもならない。
丸善や三越の洋書部へ行くと京都の貧弱さが腹立たしくなる。
神田の古本屋へ行ってみてもさすがは東京だと思う。
東京会館のプリュニエや帝国ホテルのグリルへ行ってみても東京の現代的性格の一面がわかる。
東京と京都とを比較する場合に、隅田川と加茂川とを引き合いに出すのはありふれてはいるが、水の少ない清らかな加茂川はいかにも京都らしく、濁流滔々[とうとう]たる隅田川は東京をかなりよく象徴している。
私は三条の橋あたりから静かに叡山を眺めるのが好きであるが、両国辺の大川端に立ってネオンサインの色彩の動きに心を任せるのも好きである。
特に私にとっては京都は静かなもの純粋なものである。
東京は複雑な動揺を意味している。
私は京都へは一人で行っているから世間的にはほとんど煩わされることなく静かな学究としての生活にひたり込むことができる。
同僚たちは、もとより十人十色の性格をもっているが、根底においてはみな誠実な善良な聡明な人たちばかりである。
飛び入り者の私はさすがは最高学府だなとつくづく感じることがある。
それらの同僚たちの間で学問に没頭する私にとっては京都はまことに静かなところである。
それに反して東京へ帰ると私は家庭の人間となり、複雑な近親関係の中に身を置くことによって計らぬ煩わしさや悩みが生じてくる。
そこには必ずしも誠実と善良と聡明とを予期することはできぬ。
また各種の方面の人たちに接する機会もおのずから起こってくるので実社会の学問をする。
陋劣[ろうれつ]なもの、矮小なもの、冷酷なもの、愚鈍なものを目のあたり見ることも稀ではない。
私が腹を立てたりそれを押さえたりするのは種として東京でである。
私は東京にいる間は世の荒浪ということを明らかに意識する。
そして
Es bildet ein Talent sich in der Stille,
Sich ein Charakter in dem Storm der Welt.
[才能は静かな境地で築かれてゆきますが、
人格は浮世の波にもまれながら築かれます。(実吉捷郎訳、岩波文庫)]
というゲーテの『タッソー』の中の句を私は京都の生活と東京の生活とにあてはめたい気がする。
それはもちろん私の特殊な生活事情がそうさせるのである。
「才能」にとっては京都の生活が願わしいが、「性格」にとっては東京の生活も欠きがたいというのが私の真実である。
東京帝大で私どもの師事したケーベル博士は「哲学をするのはカムチャッカにいても出来る」といわれたことがある。
それは確かに一面の真理である。
しかし真理の全部ではない。
哲学者がどこに住むかということはその哲学におのずから反映される。
現代でベルクソンの哲学とハイデッガーの哲学をとってみればよくわかる。
ベルクソンの哲学はどうみてもパリっ子の哲学である。
思想の内容においても論述の形式においてもあんなに瀟洒[しょうしゃ]なものはパリに生まれパリに育った者でなければできないと思う。
ハイデッガーはどうか。
南独シュヴァルツヴァルトの暗い森蔭に育った哲学者である。
マールブルク大学の教授だった時、ベルリン大学に招聘の問題が起こってハイデッガーはベルリンへ一、二泊で行ったことがあった。
マールブルクへ帰ってきたハイデッガーは、大戦当時に兵卒としてベルリン市を通過したことがあっただけだといって初めて見たベルリンの現代生活の驚異を私に漏らしていた。
ベルリンぐらいで驚いているのかと私はひそかに微笑を禁じ得なかった。
ハイデッガーのあの陰鬱な哲学はシュヴァルツヴァルトの土やタンネの黒味を帯びているのである。
東京と京都。
私は私の思索にあって、内容に東京の豊富さを、形式に京都の静けさを、おのずから反映させることができれば幸いだと思う。
私的雑感
九鬼の随筆は秀逸だということがアリアリと見て取れます。
そもそも彼の哲学自体がそうなのですが、題材はとてもやわらかい。
けれどそこに物凄く刺激と辛味の効いた粒がある。
ほんわかとしたいなら、その粒を看過すればいい。
一昔前のお菓子で言うところの綿パチ?
日本語の教科書に「もっと九鬼を!」