他愛もない対話篇
01
登場人物
澄杜瑞羽(すみもり みずは/18歳/男)=大学一年生・専攻未決定
坂原真奈(さかはら まな/23歳/女)=大学院博士課程前期二年生・哲学専攻
2005年4月。
大学入学式から数日も経過した頃。
澄杜瑞羽は幼少時からの知り合いである坂原真奈のいる哲学科研究室へと赴いた。
瑞羽「真奈、いる?」
真奈「あぁ瑞羽、どう? 大学には慣れた?」
瑞羽「単位登録がまだだからね、慣れるも何も無い」
真奈「あぁそう、可愛くない……。それで今日は何の用?」
瑞羽「真奈の率直な意見が訊きたい」
真奈「そこで、真奈お姉様の美しいお顔が見たかったからさ、とか何とか気の利いたセリフの一発でも言ってみせれば、お姉様は胸キュンイチコロダウンよ?」
瑞羽「また言ってるよ……、しかも死語連発」
真奈「それは聞き捨てならない単語だね」
瑞羽「死語が存在するかどうか」
真奈「本当の死語とは、辞書にも載らずに消え去ってしまった単語のことを指し、遍く全ての使用頻度の低くなった単語というものは、瀕死語と称すべきもの」
瑞羽「その通り。……っていうか、前に俺が言ったヤツじゃん」
真奈「何を言うのかしら若人、お姉様の影響を受けて学問を志し、お姉様のお尻を追いかけてこの大学に入ってきたくせに」
瑞羽「それは二重の意味を掛けているのかな? 残念ながら、一つはハズレだ。尻は小さい方が好
真奈「……」
瑞羽「……さて。訊きたいことがあるんだけど」
真奈「何なの?」
瑞羽「高度に発達した哲学の意味を問いたい」
真奈「また随分と変な問いかけを……、ソクラテスみたいな対話がやりたいなら、もっと何ていうかこう……」
瑞羽「抽象度で云えば同じようなものだと思う」
真奈「確かにそれはそうなんだけどね……、何でまた、そんな疑問を持ったわけ?」
瑞羽「よくよく云われていることじゃん? 哲学なんて役に立たない、とか」
真奈「それは大間違い、それはもう論外、それは果てしなく以下略」
瑞羽「自分で以下略と言ってれば世話無いね」
真奈「あれ、結構気に入ったんだけどこのネタ」
瑞羽「いやいいから。まぁ、哲学が役に立たないだとか、構造主義から意味分からなくなっただとか、ポスト構造主義が哲学嫌いを増やしただとか」
真奈「あー……、現代哲学の問題ね」
瑞羽「真奈は専門分野じゃないって分かってるんだけどさ」
真奈「何? その、如何にも“ボクの専門分野はメチャクチャ広いですよ? 哲学から工学から美術から何でもござれですよ?”みたいな得意気な顔は」
瑞羽「頬を引っ張らないで下さい美しい真奈姉様」
真奈「分かればいい」
瑞羽「そんな顔したつもりもそんなこと微塵とも思ってないんだけどさ……」
真奈「知ってる」
瑞羽「……」
真奈「……現代哲学はねぇ……、確かに、デリダやフーコー以来のポスト構造主義が、哲学の難解さというか難渋さを変な意味で世に知らしめちゃって、哲学嫌いを増やしたというか、哲学を敬遠する人間が増えたというか……、それに一役も二役も買ったのは間違い無いね」
瑞羽「同意。だからソーカルに批判されもする」
真奈「私としては、ソーカルのヴィリリオ批判は一部納得できなかったりするんだけどね、まぁホラ、私専門外だから」
瑞羽「しつこいなぁ……」
真奈「ソーカルは確実にポスト構造主義の息の根を止めたね。ドゥルーズもデリダも亡くなった今、あの時点でソレが終わっていたと断じていいと思う」
瑞羽「専門外の意見だけど」
真奈「そう、私は専門外だけど! でも、同じ哲学という枠組みで語れるのに、専門も何も無いよね、そういった知の細分化というのは大問題よ」
瑞羽「以前から交わされている熱い議論だね」
真奈「補足有り難う。まぁ、このことについてはまたの機会にするとして。で、高度に発達した哲学、っていうのはここでは最先端のポスト構造主義が値すると考えていいのね」
瑞羽「極論的な言語分析哲学もそう云えると思うけど」
真奈「極論かどうかの差異判定が難しいから、却下」
瑞羽「クリプキのとか……、まぁいいや、そう、ポスト構造主義をイメージしてくれればいいよ、厳密に定めなくたって」
真奈「オッケー。うーん、そうねぇ……、問題は、数学が抱えているものと同じだと思う」
瑞羽「……あぁ、確かに、数学と哲学っていうのは、立場が似ているね」
真奈「そう。どちらも、基礎レヴェルでは他部門への応用が利くことこの上無しっていう点でね」
瑞羽「基礎数学無くして、他のあらゆる諸理科系学問も科学技術も有り得ない」
真奈「純粋哲学無くして、人生は有り得ない」
瑞羽「少しでも哲学をしたことが無い人間っていうのは危険だね」
真奈「本人が、それが哲学だと気付いていない場合が多々ある。それが、ポスト構造主義なりのもたらした結果、というのは間違いね」
瑞羽「それは早計だね。そもそもライプニッツやカントで、難解過ぎる」
真奈「デカルトは簡明で一般人向けなのにね」
瑞羽「まぁ話を戻そう。人を殺すことが何故いけないのか、これを疑問に思って問題を解決しようとする姿勢、それがもう哲学だ。だから、人間は思春期に哲学をして成長する」
真奈「異論無し。まぁ、私の影響を大きく受けて育ってきたんだから、この段階で二人の意見に食い違いが出ることは有り得ないね」
瑞羽「そりゃご尤も。それで、数学のところまで話を戻すと?」
真奈「理科系は瑞羽の方が強いでしょ? だから、こういうこと。数学は基礎レヴェルでは他部門に於いて無くてはならないもので、哲学も同じ。だけど、応用数学になると、これはもう直接的に社会の利益に還元できない。そして哲学も同じ」
瑞羽「確かに、数学と哲学の類似性というのは、大きいか……」
真奈「ヒルベルトが23の問題を出してたでしょ?」
瑞羽「あぁ、うん、それで?」
真奈「数学的には、その問題を解くよりも問題を出す方が意義あることとされるっていうじゃない?」
瑞羽「その通り。だから、最終定理を解いた人間よりもフェルマーの名前の方が知名度が断然高い」
真奈「哲学もそれと同じって云われているでしょ? 問題を解いた哲学者よりも、提示した哲学者の方が偉大だ、って」
瑞羽「提示して自分で解いていたり、未だ誰にも解けていなかったり、色々だけどね」
真奈「ゼノンの逆理がそうじゃない。まぁアレも数学と云えなくもないんだけど、まぁ昔は未分化だったから……、ともかくとして、逆理を初めて解いた人間なんて一般人じゃ挙げられないけれど、アキレスと亀の問題なんかは、結構有名でしょ?」
瑞羽「そうだね」
真奈「だから、数学も哲学も、高度に発達してしまったら、確かに社会への直接利益には参与できないってわけ」
瑞羽「でも、何がどうなるかなんて全然分からないのが今の世の中だよね」
真奈「そう。役に立つ代名詞な物理学、っていっても一括りに昔みたいに物理学って云えなくて、機械工学とか理論粒子物理学とかそれこそもう色々分化しちゃってるんだけど、まぁそれもともかく」
瑞羽「自分で逆説挙げておかないと反論の余地がある場合怖いよね」
真奈「突っ込むのが大好きな瑞羽が相手だから……」
瑞羽「何、それもまさか二重の意味を掛けてるの?」
真奈「何言ってんのバカッ! スケベッ!」
瑞羽「うわ、スケベ姉にスケベ言われた……」
真奈「誰がスケベだって!?」
瑞羽「……」
真奈「……」
瑞羽・真奈「……はぁ」
真奈「……ともかくとして」
瑞羽「はい」
真奈「物理学自体が証明しちゃってるもの。ハイゼンベルクの不確定性原理」
瑞羽「決定論的世界観の崩壊か」
真奈「初期条件が一つずれると、結果がイカレちゃう、っていうカオス理論とか」
瑞羽「そういうのが色々あるんだから、応用数学や難渋哲学が役に立つ可能性だって無いわけじゃない、ってことか」
真奈「そーゆーこと。まぁ何でも色々手ぇ出してみるのはいいことだと思うよ。それにさ、難渋で役に立たなそうに見える学問っていうのは、その存在自体に意義があると思わない?」
瑞羽「どういうこと?」
真奈「要は、自分の分からない分野を切り拓きつつも、分からない学問を作っちゃっているわけでしょ?」
瑞羽「まぁ……、そういうことだね」
真奈「人間が畏怖する一方で好奇心に打ち震えちゃうようなモノはなぁんだ?」
瑞羽「……未知?」
真奈「大正解。そういうことをやっている人がいる、そういうものがある。それを認識することが第一。肯定的な目で見られないなら、もうそれだけ。後はもう何も関わらない。認識するだけで終わり」
瑞羽「平和的、だね」
真奈「ぶつかり合いが、何でもかんでも発展する原動力っていうけど……、私はどうも、ね」
瑞羽「……ふぅむ」
真奈「答えは出た? ソクラテス的対話が好きな君には、きちんとした明確な問いに対する答えというものを打ち出しはしなかったんだけど」
瑞羽「結構出してたような気がするんだけど」
真奈「高度に発達した哲学の意味でしょ? 意味っていうか、価値?」
瑞羽「……そうか、価値か意味かの違いか」
真奈「まぁ、色々考えなさいな。学問に王道無し、思考にも王道無しってことよ」
瑞羽「……またそのうち来る」
真奈「今度は菓子箱でも持ってきてよ?」
瑞羽「はぁ? 太
真奈「……」
瑞羽「……それじゃ、また」