他愛もない対話篇

03

 

 

 

登場人物

澄杜瑞羽(すみもり みずは/18歳/男)=大学一年生・専攻未決定

坂原真奈(さかはら まな/23歳/女)=大学院博士課程前期二年生・哲学専攻

高木原柳之助(たかきばら りゅうのすけ/19歳/男)=大学一年生・専攻未決定

 

 

 

 2005年5月初旬。

 ゴールデンウィークの連休明け。

 瑞羽は、大学に入ってから友人になった柳之助と共に、真奈の「哲学概論」を受講しに中教室へとやって来た。

 授業開始2分前。

 既に後方の席は空いていなかったので、二人は渋々と(特に瑞羽は)窓側一番前の席を陣取った。

 

 

瑞羽「うーん、中教室がいっぱいって珍しいね……」

柳之助「あぁ、GW前の初回授業がめっちゃ面白かったからなぁ」

瑞羽「……そうなの?」

柳之助「おうよ、っていうか、センセがマジで美人なんだよ!」

瑞羽「……ふぅん」

柳之助「アレ、澄杜ってあんま女に興味なかったりする?」

瑞羽「いや、人並みにあるつもりだけど」

柳之助「な、彼女とかいるん?」

瑞羽「そう言う高木原こそ、この前女連れて歩いてなかったっけ?」

柳之助「……さぁぁ? 何のこったかサッパリで。……いや、ごまかすなよ」

瑞羽「彼女ねぇ……、もう、面倒臭いかな」

柳之助「お、お、お? 経験豊富を匂わせる発言?」

 

 二人の会話は、チャイムが鳴って打ち切られた。

 いや。

 それ以上に、教室に入ってきた女性の第一声によって。

 

真奈「私は何故美しいのか?」

 

 ……

 

柳之助「……」

瑞羽「(あ痛たたたたたたたた……)」

真奈「おはよう諸君、初めましての方々は、初めまして。私が、この授業を受け持つことになりました坂原真奈です。以後、苦しゅうない」

 

 ……

 

柳之助「センセ、質問です」

瑞羽「(あ、勇者……)」

真奈「何かね?」

柳之助「この前の授業と、キャラが全然違うんですけど……、っていうか今のも、キャラが不安定なんですけど」

真奈「……」

瑞羽「(うわ、俺に気付いた……、いや、何その眼)」

真奈「ごめんなさい、先生、好きな人の前だと緊張しちゃって……」

瑞羽「(何言ってんだこのヒトは……)」

柳之助「す、好きな人?」

真奈「う、うん、その、君の隣にいる男の子なんだけど……」

 

 ざわ・・・

    ざわ・・・

 

瑞羽「(……オーケー、ちょっと待った澄杜瑞羽。突然不思議空間に放り込まれても、俺は冷静だ、至って冷静だ)」

柳之助「し、知り合いなん?」

瑞羽「そんなオバサン知らない」

真奈「……あ?」

 

 ざわ・・・

    ざわ・・・

 

柳之助「おい澄杜、空気が三十度くらい下がった気がするんだが……」

瑞羽「下がるのは空気じゃなくて気温だよ」

柳之助「いや、んなこたどうでもいいだろ」

真奈「はーい、落ち着いて落ち着いて。悪ふざけはここまでに、ね」

瑞羽「(自分で種撒いておいて何言ってんだか……)」

真奈「まぁ、私はこんなキャラなんで、リラックスして適当に聞いてね。飲み放題食べ放題、出て行き放題。でも私語禁止。発言するときは挙手すること。無断で発言したら文字通りリアルに首斬るからね」

瑞羽「(何さりげなく本当に恐ろしいこと言ってんだよ……)」

真奈「前も言ったと思うけど、成績評価は学年末試験一発。持ち込み何でもオーケー。コピーノートだろうと何だろうと持ってきていいよ。課題も今、出しとくから。『哲学とは何か?』 はい、これ、4000文字以内で書いて提出、試験時間は90分。出席はとらないんで、評価基準は基本的にそれだけ。……何か質問ある?」

 

 ……

 

柳之助「あの」

真奈「うん、君、いいね、何?」

柳之助「そんなだと、試験の評価は厳しいんですよね」

真奈「うーん、どうだろ? どれだけ私が気に入ったかに尽きるから。勿論、その中には、博学っぷりやオリジナリティに加えて正確性も含まれるから」

柳之助「なるほど。それと、基本的にって何ですか?」

真奈「うん、イイ質問。5点」

柳之助「え?」

真奈「こういう風に、イイ質問とかイイ意見をくれた場合、その時々に応じて点あげるから。60点まで集めれば、とにかく単位は貰えるんだよね、この大学。だから、頑張ってジャンジャン意見質問ちょうだいね」

瑞羽「(へぇ……、一応それなりに考えてんだ……、いや、ただ面倒くさがり屋なだけか……)」

真奈「君、名前は?」

柳之助「あ、高木原です、高木原柳之助」

真奈「……オッケ、5点つけといたから。さて、他には?」

学生「あ、はい!」

真奈「ん、君、どうぞ」

学生「前期試験は無いんですか? 夏休みの宿題とかは?」

真奈「……まぁ、今回は初回だから許してあげるけどさ」

学生「え?」

真奈「沈黙は金なり雄弁は銀なり、の誤用は知ってる?」

学生「諺が生まれた当時は銀の方が高価だった、ってことですか?」

真奈「そそ。だからね、その諺は両用できるわけよ」

学生「はぁ……」

真奈「今の場合は、現代的な意味で沈黙は金なり、ね」

学生「??」

真奈「人の話をちゃんと聞いてなさい。無為な質問、私の機嫌を損ねるような質問してきたら、逆にマイナス点だから」

学生「うぇえぇぇぇぇっ!?」

瑞羽「(うわぁ、横暴だ……)」

真奈「もちろん、意見はその限りではないから。私が気に入らない意見だからマイナス点つける、なんて愚挙はとらないとらない」

 

 ……

 

柳之助「(うーむ、結構怖いヒトだなぁ……)」

真奈「他にはもう無い?」

瑞羽「はーい、セ・ン・セ」

真奈「……な・に・か・な?」

瑞羽「哲学って何ですか?」

 

 ざわ・・・

    ざわ・・・

 

瑞羽「(いや、もうその擬音はいいよ……)」

真奈「なかなか面白い質問してくるね」

瑞羽「はは、どういたしまして」

真奈「さすがに哲学の定義までは教えられないけど、っていうか教えちゃったらもうそれ試験の時に使えなくなっちゃって可哀想だから言わないけど、代わりに哲学を学ぶ意義を教えてあげましょうか」

瑞羽「へぇ……、聞かせて貰いますよ」

真奈「(うわ、挑発しまくりだこのガキ……) 一口にいって、複眼を持つようになること」

瑞羽「複眼?」

真奈「そう。君達は普段、自分の思考に基づいて価値判断をくだし行動しているよね。……無意識とか下意識とかそういうモンは、ひとまずここでは放っておいてさ。で、その自分の思考っていうものが問題になってくるわけ」

柳之助「(ふむ……)」

真奈「単眼っていうのは、同語反復的にいうと、自分の目でしかモノを見ていないってこと。例えば、そうだね……、君達は、単純に写真というものをどう考えてる?」

 

 ……

 

真奈「……って問われても、難しい?」

瑞羽「時間と空間を切り取ったもの。まさしく“今・ここ・私”の“その”瞬間」

真奈「……と、まぁ、この少年はちょっと哲学に足突っ込んでるようなので、こう考えてるみたいです」

瑞羽「(うわ、何その可哀想なヒトを紹介するような言い方は……)」

真奈「他には?」

柳之助「うーん、全然そんなこと深く考えたことなかったんで、よくわかんないですけど、写実って単語がある通りに、絵画よりも正確に実像を捉えることのできるもの、ですかね?」

真奈「なるほどなるほど。ま、他のみんなのイメージも、大体そんなとこかな?」

 

 ……

 

真奈「みたいだね。……とまぁ、このように、それぞれの意見があるわけ。これが、それぞれの単眼。……ボク、お名前は?」

瑞羽「(うっわぁ……) 澄杜瑞羽」

真奈「澄杜瑞羽クンは、澄杜瑞羽クンなりの写真観を持っている。高木原クンは高木原クンなりの写真観を持っている。……これが単眼だ、っていうのはイイよね?」

瑞羽「(うん、待って、何で俺フルネームで連呼されてんの)」

真奈「さて、こういう機会があって、晴れて彼らはお互いの写真観というものに触れ合うことができました。それが彼らの記憶に根付けば、それがもう一つの眼になるわけです」

 

 ……

 

真奈「うーん、ちょっと分かりにくい? だからね、澄杜瑞羽クンは、今、高木原クンの写真観を知ったわけでしょ? このまま澄杜瑞羽クンが高木原クンの写真観を忘れてしまったら、それは無意味なんだけど、記憶に留めてあったら有意味になる、単眼から抜け出したことになる」

瑞羽「(分かったからフルネーム連呼やめて)」

真奈「何故覚えていれば単眼じゃなくなるのか。それは、次に写真観を問われたときに、必ず彼の頭に引っ掛かってくるから。写真ってどういうものかと訊かれて、澄杜瑞羽クンは自分の元々持っていた写真観を述べるでしょう。でも、いや待てよ、とブレーキがかかる。これは、言う前でも言った後でもいいんだけどね。とにかく、ブレーキがかかる。高木原は、こういう写真観を持っていたよなぁ、と……」

瑞羽「(長ったらしいってば、フルネームやめて)」

真奈「つまり、一つの対象を考えるときに、あぁ、アイツだったらこういう風に考えるよなぁ、という風に思えることが、複眼を持っているということ……、オケー?」

柳之助「えっと、いいですか? 質問」

真奈「はいはい、どぞ」

柳之助「それってつまり、単眼か複眼かは、個物対象それぞれによって変わってきちゃうってことですよね?」

真奈「うんうん、もうちっと具体的に言ってみてくれるかな? 他の人にも分かるように」

柳之助「えっとですね、例えば、リンゴとミカンがあったとして、リンゴに対しては色々な考え方を知っていて複眼を持っているけれど、ミカンに対しては知識に乏しいっていうか、あまり他の人の考え方を知らなくて、単眼……、っていう……」

真奈「うん、そゆこと。その通り。自分の中に絶対的な複眼を持つことは不可能なわけ。対象それぞれで部屋が区切られちゃってる。ここでちょっと哲学の授業らしく固有名詞を出すとしようか。さっきの写真をひっぱってくると、ヴァルター・ベンヤミンっていう人は、写真に対して色々な思想を持ち意見を述べている。例えば、さっき澄杜瑞羽クンと高木原クンが言ったのとはまたちょっと変わって、写真とは、人間を超えた絶対的観察者としての視点を提供するものだ、っていう風に云ってるね。でも、それっていうのは、ベンヤミンが20世紀前半も生きた人間だから持てる眼であって、写真機が発明されるより以前の思想家達は、逆立ちしてひっくりかえったって持つことのできない眼なわけ」

瑞羽「つまり?」

真奈「せっかちだねぇ、君も……、つまり、アリストテレスがいくら博学有識な思想家だって云っても、アリストテレスの写真観を私達が持つことは不可能ってこと。でも、アリストテレスの人生観だとか、生命観だとかはアリストテレスの眼として私達も持つことができる。対象によって、部屋が区切られているっていうイイ例だね」

柳之助「はぁぁー……、なぁるほどぉ……」

真奈「今云った通り、君たちも人間だから、色々悩みとか考えとか抱え込んじゃったりしてるでしょ? 何で生きてるんだろうなー、つまり、人生って何だろうなー、って具合にさ。そういうのは、自分なりの考えだけ持っててもどうしようもない、つまり単眼じゃ弱い。カントなら人生についてこう考えてたなぁ、ショーペンハウエルならこう考えてたなぁ、ニーチェはこう考えてたなぁ……、そんな具合に、複眼をいっぱい持てれば、自分の眼というのも、必定強化されるわけ」

瑞羽「あ、そこまで持っていきたいのか」

真奈「ふふふ、察しがいい澄杜瑞羽クンは分かったみたいだけど、哲学の意義は複眼を持つこと、って言ったよね? じゃあ複眼を持つことの意義は? って疑問が出てくるでしょ? それは、自分の眼を鍛えること。自分の視力を上げること。結局最終的には、何が何だって自分の眼で見てるってことなんだからさ」

学生「あの、じゃあ、自分の視力を上げることの意義って何ですか?」

真奈「ん? 決まってるでしょ?」

瑞羽「楽しく生きるため」

真奈「正解〜。じゃ、本日の講義はこれにて終了」