秦の郡県制

 

 県は春秋時代から、郡は戦国時代から既にあったもので、秦の商鞅が殆ど基となるところを築いていた。

 そのため、中国統一後、始皇帝と李斯は、これを全土に徹底するようにしていった。

 中央、郡、県、郷、里と、順に単位が小さくなっていくもので、上位から下位に、皇帝の意思で役人を派遣し、中央からの目を光らせ、中央集権化を図ったのである。

 これにより、以前の封建制は消滅し、これを基礎とする儒教は制度的にも縮小せざるを得なくなった。